Inspireから始まるHistory


"なんだ、こいつ。英語使いやがって。ルー大柴かよ"ってツッコミを入れましたよね?そこは少し多めに見ていただけたら幸いです。

そんなこんなで、初めまして、はてなブログ
とりあえず、最初なので?今まで明白に著したことない私のジャニヲタ史を初公開。小瀧望がジャニーズに入った7年前の今日より、更に昔から私のジャニヲタ史は始まっている。

1. 大人びた幼稚園児

そもそも何故私がジャニーズというドロ沼に足を踏み入れることになったのか、全ては母親にinspireされた事から始まる。私の母親はマッチさんのレコードを全部集めていたという隠れヲタクであり(後日判明)、そんな母親と共に実写版金田一少年の事件簿を幼稚園児ながらも見ていた。そこで幼稚園児の心を掴んだのが今や国民的アイドル嵐の松本潤であった。どうして好きだったのか、何故ハマったのか、理由は定かではないが当時の私は他の子と違った。6歳の誕生日に嵐のフォトブックを貰って喜ぶ子がいただろうか?いや、私の周りにはいなかった。
そのフォトブックが、こちら。
f:id:nonkjng:20150717185946j:image
今や行方不明のフォトブック……惜しいことをしたと私も母親も嘆いている、、、

2. 誰もが通るイケメン道

幼稚園児時代に嵐にハマりそのままいろんな番組を見て行くにつれ、誰しもが認めるイケメン山下智久に心を奪われた小学生時代。誰もが一度は通るのではないだろうか、イケメンの道。私はいつのまにか嵐にさようならを言いNEWSと初めましてしていた。そのままダラダラ山下智久=私という概念を周りの子にinputさせ、空前の嵐ブームが来た中学時代もそれは引き継がれていった。しかし、中学時代には意味不明な行動が1つある。授業の一環で二十歳の自分へという手紙を書いた際のこと。二十歳になって家に届いてびっくり。当時の私はJr.に心奪われることを予測していたのだろうか、、、
f:id:nonkjng:20150717225109j:image
橋本良亮(現A.B.C-Z)と真田佑馬(ジャニーズJr)が写った画像をコピーして入れていた。なんだこれ。

3. 悲しみの果て

山下智久=私という概念は高校生になっても崩れず、さらに同グループの増田貴久にもハマる。所謂、掛け持ちという技を覚えた高校時代。自分への概念を自ら崩していくことになったのは、脱退事件が起こってから。当時の私にはだいぶdamageが大きく悲しみの果てに増田貴久優先という道を選んだ。道は明確に選んでいたが当時は部活にも励み、コンサートもがっついていた訳でもなく、とりあえずゆるく茶の間をしていた……しかし、それが逆に罠だった。いろんな子を見ることが出来るテレビや雑誌は恐ろしい。昔から某ジャニーズ番組のおかげで存在は知っており、気になっていたのだが、関西に心が侵食され始めたのはこのあたりだった。

4. 永遠なんてないと悟った夏

関ジュに心を侵食されつつNEWSを追っかけながら大学生になった。当時から関ジュと掛け持ちはしていたものの、いろんな時代を見てきたNEWSが10周年を迎え、記念すべき日にも立会い、私のHistory上で当時は不動の1位だった増田貴久を降りることはないと断言していた。しかし翌年、蓋を開けてみれば安々と降りていた。死ぬまでずっと増田貴久が好きだと誓った夏は向井康二小瀧望によって呆気なく散らされた。当時、関西担だった友達にinspireされて行った舞台の向井康二のソロによって心のど真ん中を射られたのが最大の原因であった。
f:id:nonkjng:20150718004938j:image
一度Jr.に落ちると一気にハマってしまうのがジャニーズ沼。詳しくなりすぎて、いまやジャニーズ=私という概念が周りの子についてしまっている。

三日坊主の私がジャニヲタだけは10年以上続けているので、いつまで続くか見ものだ。

ちなみに……
はてなブログを始めたのも友達にinspireされたからである。
inspireって恐ろしい。